宇陀温泉郷 椿寿荘(ちんじゅそう) 本郷温泉 かぎろひの里

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宇陀松山地区

椿寿荘から車で約10分、徒歩で約20分

宇陀松山地区 宇陀松山が拓かれたのは戦国時代「宇陀三将」と呼ばれた一人、秋山氏の築いた城の城下町として発展してきました。その城下町としての町並みが今も景観を保ったまま残っている地区で、2006年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。

宇陀松山城の西側の地区は古代は阿騎野と呼ばれた宮廷の狩猟場でした。現在の街区は戦国時代に国人領主秋山氏により築かれた秋山城の城下町を起源とし、その後豊臣秀長配下の大名により現在の町並みの原型が形成され、地名が阿貴町から松山町に改められたとされています。

関ヶ原の戦以降は織田信雄以後4代の支配を経て1694年からは江戸幕府の天領となり、商業地として栄え、明治時代になっても宇陀郡役所や裁判所がおかれるなど地域の中心として発展し、昭和40年代まで賑わったという歴史をもっています。当時、近世初頭の敷地割と江戸時代から明治時代の商家が数多く残る中心街は、宇陀市の都市計画によって定められた伝統的建造物群保存地区であり、宇陀松山伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。

 

大宇陀・松山地区について 2006年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された宇陀松山地区は、かつての大宇陀町である奈良県宇陀市の南西部に位置している、長い歴史を持った町です。 周囲を吉野山地、竜門山地、大和高原などの山々に囲まれた辺境の地ではありましたが、京都や奈良と伊勢をつなぐ交通の要衝だったことから、古くから中央の影響を受けながら発達してきました。

日本の歴史に宇陀が登場するのはかなり早く、飛鳥時代まで遡ることになります。宇陀地域の山々は鳥獣が豊富だったために絶好の狩猟場として見いだされ、「阿騎野」という呼び名で日本書紀に登場しています。 また柿本人麻呂が軽皇子(文武天皇)の狩猟の情景を詠んだ歌も阿騎野でのことと知られています。

 

交通の要衝となっていた宇陀地域が、町として形を成し始めるのは戦国時代、秋山庄の荘官から国人領主に成長した秋山氏が城を築き、その城下町として山腹に栄えたのが現在の松山の起源であると言われています。

その後、秋山氏は豊臣氏に追放され、秋山城には秀吉の弟、秀長の家臣が入り、この頃に城の大規模改修と城下町の拡大整備が行われ、現在の骨格が整えられました。この時に阿貴町から松山町に名前が変えられたと考えられています。

元和元年に城は壊されましたが、宇陀松山藩となってからは長山に藩屋敷を置き、織田信長の次男信雄(のぶかつ)が初代藩主となり4代にわたって松山藩を治めました。 やがて近代になると郡役所や裁判所ができ、政治の中心地として栄えたほか、県内初の乗り合いバスが走り、十数件の料理旅館がひしめいた時期があり、昭和の半ばまでその賑わいは続きました。それが宇陀松山の町並みです。 一時期に一気に繁栄した訳ではなく、色んな時代の影響を受けながら積み上がってきたために、家毎にそれぞれ異なる時代の特徴を持ち、町並みを眺め歩くだけでも町家の向こうの「時代」を垣間見ることが出来ます。 ただの古い町並みではない「日本の家屋建築の博物館」と言えるのが、この宇陀松山なのです。

所在地奈良県宇陀市大宇陀区拾生1846
開館時間
定休日
Webサイト
お問い合わせ先まちづくりセンター 千軒舎(旧内藤家住宅) TEL:0745-87-2274

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